ひろむし’s blog

goo blog で、「Re:SALOON & VBA」というblogを20年やってました。閉鎖に伴いはてなさんに引っ越してきました。よろしくお願いします。

「決め・分け論65」多重文脈

この「決め・分け論」も、とうとう行き詰まりかも知れない。
世の中の人を見ていて、「決めたい」という人し、「分かりたい」という人が、
二分割されるようにいて、そのことを意識せずに、同一線上(同じ価値観の上)で論争しているのではないか、それを明確にしたら、どうだろうか・・・というのが、発端だったのだが・・・
あたかも、自分の中では、新しい着眼点だったのだが・・・
というのも、僕は、ユング派の心理学に興味があって、ユングのタイプ論の8タイプでは、この視点がなかったのだが・・・、まあ、そこからの飛躍という意味でもあったのだが、・・・

「決め・分け論58」MBTI診断で、ユングの8タイプに、
・判断型 (J) vs 知覚型 (P):外部世界への対応方法の1指標足して、16タイプに
そして、その外部世界への対応方法は、「決めたい」「分かりたい」になるなぁ~と
判明してしまった。と思う。まあ、専門家に言わせると違うのかも知れないし、こっちは素人というか、市井の分析したがり井桐田刈りの初老人なので、根拠なしの思い込み。
で、なんと、18年前に、このMBTI診断やっているんだよね、そのとき、ユングのタイプ類型と気付いたかどうかも思い出せんし。完敗です。

MBTI診断は、また、最近、注目されなおしているみたいで、
なんでも、16タイプは、Tとつく人とAとつく人で、32タイプにもなるらしい
簡略化した16タイプ性格診断(通称:MBTI)の結果を補うための指標として追加されたものがこのAとTというアルファベットであるとのこと。
で、そのAとTなんだけど
https://korekarashinro.jp/special/consult/assertive/ の請売り↓

【A(Assertive)】自己主張型の特徴、メリット
自己主張型は情緒的な問題がかかりにくく、神経型は情緒的な問題を抱えやすい傾向にあります。

まず、Aの特徴ですが、
・滅多なことでは慌てず、細かいことがあまり気にならない
・心配事やストレスが少なく、否定的な感情が長引かない
・感情の起伏が小さく、概ね人生に満足しながら生きている
・人の視線に鈍感
・自己肯定感を持ちやすい

などが挙げられます。
ものすごく簡単な言葉で説明するならば「陽キャ」と言い表すのが現代的な言い方でしょう。とのこと

【T(Turbulant)】神経過敏型の特徴、メリット
簡単に言うならば神経性は慢性的に否定的な感情を感じやすいという性格的な傾向を示すので、Tの場合は
・ストレスや批判に対する耐性が弱い
・否定的な感情が長く続く
・人の視線に敏感
・自己主張をあまりできない
・人に対して依存する
・人を信じられない
・不満や批判が多い

などが挙げられます。つまり「過敏」「神経質」と日本語ではよく訳されるような性格となっております。

こうした方は今挙げたような特徴をマイナスに思うかもしれませんが、謙虚であるという点や他人のマイナスな感情に気づくことができるというメリットもあります。
傷つきやすく、しんどい思いを抱えやすいのはデメリットですが、他の人の痛みにも気づくことができるので周りに優しくすることができるというのが大きなポイントです。
とのこと。

僕は、Aでも、Tでもないような、中間型みたいなので、
陽キャ陰キャ・・・という分け方、どっちも違う気がして
内向的ではあるけれども、内気ではないし
で、この追加された指標はピンと来ない。一応。知らんけど・・・。

さてさて、実は、ここまでは前振り、本題はこれから(でもないか)

この「MBTI診断」のように、随分前に触れていたのに、「決めたい」「分けたい」みたいな分類というか
そういうことを、以前、触れていたりしないかと、このBLOGで書いてきたこと、本の感想で考えたりしたことでないかと、全部ではないけど、ざっと、過去のログを眺めていた。
で、いろんな言い方で、そのときは、割と引っかかって、書いてゐたことが、複数あったので、今回それを上げていこうかと思っている。まとめるというより、列挙、ブレーンストーミング型かと

【多重文脈】
でネット検索しても、ヒットしないが、この言葉は、茂木健一郎氏の『プロフェショナルたちの脳活用法』で出てきた言葉だったと思う。茂木さんの本は、氏が、所得申告漏れで有名になる前から、嵌っていて、「クオリア」は、僕も不思議と思っていたので、当を得た感があった。そこへ来て「多重文脈」。ああ、これこれ、と早速、ブログでいっぱい使わせてもらった。曲解しているかも知れないが、対義語は、「単一文脈」だろうか。普通、文意、文脈は、論主によって、一つに決まる。ところが、他者にとっては、同じ表現、文脈でも、違った解釈が成り立ったりする。それどころが、そもそも、多種の解釈が、可能なように、表現したりする。もっというと、単一文脈は、そもそも、あり得ないのだとまで、言いたくなってしまう。「複数の選択肢、可能性を同時に満足させようとする足掻きのようなニュアンス」と当時は、表現していた。ここに、単一の文脈、一方が正しくて、対立局からの観方を切り捨ててしまうことに「決めたい」の萌芽がないだろうか。そういう多局面を同時に満足させるブレークスルーを求めないで、多数決で決め、後は(少数派のことは)知らないというのは、どうか(無責任なのでは)と思っていた。それを表現するのにこの「多重文脈」が便利だった。

【脳のリミッター】
「プロフェショナルたちの脳活用法」で、もうひとつ見出したのは、「脳のリミッター」。安全装置みたいなもので、危険を事前に察知して、自分の能力を制限する。「プロフェショナル」たちは、それを上手くコントロールして外すことが出来る。僕ら、凡人は、もうリミッターだらけである。そのリミッターで、対立局を考慮しないで、切り捨てようとする、それは、今、考えると「決めたい」思考で、「分かりたい」へ行かないようにしている。ということなんじゃないかな。あるいは「多面的に考える」とも言える。だまし絵なんかで、見えない間は、いろいろな見方が出来るものの、一旦、隠れているものが見えてしまうと逆に見えたもの意外の見方が出来なくなる。面白いのは、多面的に考えるということが、今度は見えたものになってしまってそれにとらわれてしまう・・・、なんかパラドックスのようなのだけれど。でも、考えすぎると、頭がショートするので、どこかで、「まあ、いいか、おいおい、考えようか」と、熟成を待つというのも、必要だと思う。

【フレーム】
これは、誰の言葉から、貰ったかは分からない。絵画や、カメラのフレーミングを考えてもらえば分かりやすいかと思う。「多面的に考える」と言ったとき、その一面を取り上げても、ある枠に嵌めて物事を見ている。枠:フレームから外れたものは、見えていない。テレビカメラのこちら側にも、スタッフがいて、演者、タレントの言動、アクションを指示している。あるいは、台本があって、セリフが書かれている。表現されたもの、以外の背後世界もあって、それの一部だけが見えていて、全体ではないこと、あるいは、見えていない世界との相互、補完によって、成り立っているのだということを、この「フレーム」という用語で言いたかったのだと(当時の自分は)。

【定点思考と多重思考】
「多面的に考える」を、どこから観て、どこに視点をおいて考えるかということで、作り出したのが(請売りの可能性もあるが、誰から貰ったかはもう分からないが)、「定点思考」と「多重思考」。多重は、複数点とか、動的とか、言い換えが出来そうだ。固定的な一点から、いつも考えるのではなく、いろんな角度から、観る、考えるということを言いたかった。ある人は、富士山は、三角形だと言う。ある人は楕円だと言う。ある人は、否や、壁のような平面だと言う。誰が正しいか、みんな正しい訳だろう。決まった定点から、時間軸で、経過、変化を観ることも必要だろう、でも、それが、全部ではない、そのことが言いたかった。

【垂直思考と水平思考】
「多重思考」を今度は、並列に観るか、因果関係、関係性を以って観るかということを、水平と垂直で、表現したかったのだと思う。まあ、深く、突っ込んで考えた訳ではない。

【ベクトル思考】
更に、「多重思考」で、複数の視点から考えた時に、その関係性を見た時、どちらから、どちらに発展・展開しようとしているかということで、さかんにこの「ベクトル」方向性を使っていた。多から一へのベクトルもあるだろうし、一から多への展開もあるだろう、そこに「決めたい」というベクトル、そこに「分かりたい」というベクトルがあると思う。「ベクトル」が、「決め・分け論」に繋がって行くように思う、今、その流れ(ベクトル)を自分の中で、見出している。

【システム思考】
まあ、これは、これまでのことをまとめて、多重思考の要素、要素が、一つのシステムとして、メタ化するということを言いたかった。のだと思う。今、思うので、当時は、まあ、部分、部分の有機的繋がり、のその思考という感じで、この言葉を使っていた。

【無知のヴェール】
まあ、僕が説明するまでもない用語(思考実験)だけと、
「『正義論』において、ジョン・ロールズが提唱した、公正な社会を思弁的・理論的に構築する上で、基礎とする思考実験上の仮定であり最も根本的な方法論である。」とのこと。ネット検索すれば、分かり易い説明に行きつけると思う。
やっぱりどんなに「多面的に」考えると言ったとて、無知ではないので、先入観で色つきの眼鏡で観てしまう。我田引水、いつものお得意の道具を使いたくなる、富士山は清水から見てしまう。それが一番、綺麗に見えると、遍く富士山の周りを回り尽くした訳ではないのに、したり顔をしてしまう。自分の立場を取っ払って、観るための自戒として「無知のヴェール」を忘れないでいたいと、言う意味で、ここに挙げた。

等、
「決めたい」「分かりたい」にたどり着くまでに、いろいろ、思考道具として、その用語、造語を使ってきたのだが、「決め・分け論」なんか、同じところをグルグルと徘徊してきたような、気もする。
無駄だったとまでは思わないが、結論は何、は、まだまだ辿り着けないのかも・・・